

台湾少年工が主に生産に従事した迎撃戦闘機雷電。高座海軍工廠では128機が生産されました。
戦闘機の組立現場 台湾少年工は各地の先端工場へ派遣され、日本海軍が使用していた殆どの機種の生産とその整備に当たり、その働きが高く評価されていました。


休暇で江の島に遊ぶ台湾少年工。
江の島は勤務の疲れを癒す格好の場所でした。台湾総督・児玉源太郎大将を祀る児玉神社がありましたし、なによりも故郷台湾へつながる海がありました。
飛行機の生産現場は敵の最優先の攻撃目標でした。多くの少年工が激しい爆撃を経験しました。


留日50周年の歓迎大会には台湾から1400名が来日、盛大な歓迎を受けました。そのとき台湾高座会が大和市へ贈った台湾亭。今や大和市の観光名所です。
留日60周年のハイライトは60年ぶりの工員養成所の修了証と神奈川県議会と大和市長からの感謝状でした。壇上で来賓と共に「仰げば尊し」を歌う各区会代表。
